逃避日記7

はてさて、潜航をどうするか

はてなブログの「下書き保存」の仕様を完全に勘違いしており、26日付の日記が消滅してしまいました。しかしまあ、なんというか妄執をつらつらと書いていた部分も多かったし却って消えてしまってソレでよかったのかもしれません。

で、今日の総括。

今日はTwitterへの妄執に囚われた日 と言う外ないくらいオフラインでも「Twitter復帰したとして、実際どうしたものかなぁ…」といったことを気に病んでた一日でした。結局のところ、オフラインの知人に相談して「迂闊に動くと編に拗れたりしねないだろうし、荒波立てずになし崩し路線が良いのではないか」という啓示を得ました。なかなか得難い相談相手です。

ひとまずTwitterについてはいつ潜航解除するのかとか含めて、この強迫観念やパニックの強い状態で考えるのは危険であろうということで啓示は啓示として有難く受けるとして今は保留して他のこと考えることに徹します。オンラインに割く時間を削るためにオフラインモードに移行したのに、オフラインでオンライン上のことを思案しては本末転倒ですし。まあ、義理とか不義理とかありますが、楽しむためにやってたTwitterで苦しんでも仕方ない と割り切ることにしたいかと思います。

でまあ、あとTwitterにしても押入れの荷物にしてもノートPCのデータにしても、共通してるのは「体調が徐々に下降曲線を辿りながらも、それなりに人生謳歌できてたあの頃」の象徴であって それ故に捨て難く思っているのだろうといったことに思い至りもしました。ぶっちゃけこれが小学校の頃の玩具とか日記帳なら9割方遠慮呵責なく捨ててただろうという一方で、前述の各々については如何に損失を抑え留めるかという思考に支配されていた というのはあります。

それだけ「失ってしまったあの日々」、或いは主治医曰く「人生の一番いい時期」を失ってしまったという虚無感の根は深いのかもしれません。

どうやっても時間は巻き戻りませんし、体調に関しても恐らくは現状維持以上のことは出来ないと考えると、なかなか厳しいというか現状を受け入れた上で衰退を甘受できるようになるまでにはまだまだ時間が掛かりそうです。ホント、どうしてこうなったやら。

余談

下書きで消えてしまいましたが、確か新聞記事タイトルにて「棒状の鈍器」という表記を見かけて「バールのようなもの」からの世代交代を感じました。まあ、最早バールを見たことある人の方が下手したら少ないかもしれませんし、何より「バールのような物」よりも「棒状の鈍器」の方が殺意高めで表記としてはよいのかもしれません。

あと、諸々の懸念解決のため通院してレントゲン撮ったりしてましたが、特に異常はありませんでした。痛みはどうしようもなかったのですが鎮痛剤が処方され、「ああ、普通の症状には鎮痛剤って普通に効くんだなぁ…」とか妙な感慨に浸ったりしてました。

とまあ、そんな感じで今日はひとまず終わり。