流暢性なる謎単語
どこぞの新聞が「流暢性」なる語を作っていたが、記事をよくよく読んでみるに恐らく暗黙的に「たとえば新聞記事として妥当であろう文は何か?」という基準で「流暢・流暢でない」という暗黙の基準で記事を書いているようだった。
要は「数学の教科書に『1+1=3』と書いてあったら何かおかしいと思わないのか?」という類の問題提起なのだろうけれど、果たしてそれを「流暢性」という一件キャッチーに見えて網羅的でもなく暗黙裡の前提への無意識さが表出するような語で括ることが「流暢な表現」であるとはとても思えなかった。なんなら例に挙げた「1+1=2」とは本当に当然のことだろうか? 「1+1=11」だったり「1+1=3」だったり「1+1=10」だったりはしないのか、「1+1=2とは結局何なんだ?」といったことを考えることは非常に数学的なことではあるまいかと考えてしまった。
案外、こう言った風に頭を巡らせることこそ記者の思惑であるのかもしれない。そうであれば愉快なことであるが、どうなのだろう。